代表プロフィール

太田 一彦
1962年 家業(椅子張り職)の、いわゆる門前の小僧として名古屋市に生まれる。
1988年 店舗設計事務所勤務を経て、椅子張り職人の世界(家業)へ入門する。
1993年 建築家団体の誘いで、ニューヨークに建築とデザインの視察研修へ行く。
1996年 初の作品展に出品。自身の作品に「家族の椅子」と名付ける。
1998年 国家資格 一級家具技能士を取得。
2003年 生涯の恩師と出会い北欧へ家具の遊学をする。
2004年 愛知万博で天皇皇后の玉座の製作に携わる。
オリジナル家具ブランド「家族の椅子」を発表。
2007年 名古屋モード学園インテリア学科の講師に就任。
2011年 椅子職として西日本第一号で全技連マイスターに認定される。
2013年 中部椅子張同業組合の理事長に就任。
2015年 愛知県知事より「愛知の名工」に認定される。
代表プロフィール
職人になったいきさつ

名古屋市内で椅子張り職を家業とする両親の元、1962年に生まれました。
物心ついた頃、私の遊び場は椅子の材料置き場でした。当時は椅子の材料といえば自然素材が基本で、とりわけ稲藁(いなわら)が万能な材料として山のように積んであり、アルプスの少女ハイジが干し草の上でふわふわ!っと遊ぶのと同じような状況の中、遊び相手は住み込みで働く兄ちゃん達、仕事に明け暮れ働く両親の背中を見て育ちました。
大学を卒業し店舗設計の会社で働くこと4年、平成元年遂に父親のもと椅子張り職人の世界に入門することになりました。椅子の世界は深い歴史や蘊蓄(うんちく)、デザインや人間工学など興味深いことばかりと考え期待していた私には、そこは全く想定外のカルチャーショックでした。
「そこは技術だけがものを言う、完全な職人の世界」。幼い頃遊び相手だった職人達は急に変貌し鬼のような上役になっていました。地方から出てきて、給料代わりに住み込みで技術を教わっていた職人達は口も聞いてくれないし、仕事も教えてくれない。長い間、毎日掃除と下仕事しかあてがってもらえないような、恐ろしい徒弟的な社会でした。
職人が帰ってから椅子を分解しては中を調べ、朝、職人達が集まる前にはきちんと元に戻して・・・おかげで必死で仕事を覚え、何とか一人で椅子が仕上げられるようになりました。7年が経ち椅子の世界になじんできた頃、転機が訪れました。

デザインと出会う

ようやく自分で完成させた仕事が製品として扱われるようになった頃、1996年、椅子 の作品展をデザイン業界の若手有志が企画しました。
友人に誘われ私もこの作品展に参加することとなったのですが、これまで上役が怖くて自分の作品を作るなんて事は考えたこともなく、まして作品に名前を付けるように、と言われて多分に驚きました。その時初めて自分で作った椅子作品に「家族の椅子」と名付けたのが全ての始まりでした。
初めての作品展は、今までとは全く違う世界に入ったような味わったことのない経験となりました。その後、積極的に多くの方々と出会い、ものを見、海外へも出掛け、新たな恩師とも出会い、数々の衝撃や感動を経験することになるのですが、このころから自分の職業に対する考え方に少しずつ変化が起こり、製造業として「頼まれたものをひたすら作る仕事」から職人としての技能や知恵、五感や感情を総動員して「財産を作る仕事」をしようと思いました。そんなことを思うようになると、前に進むことが難儀になってしまうほど多くの「こだわり」を持つことになってしまうのですが、現代を生きる職人としてそれこそ が正しいと信じているところです。

ブランドを立ち上げて…

2004年、自分の仕事、考え方で社会との関係を作りたくてオリジナル家具「家族の椅子」の展開を開始。そして2005年、工房3階に住んでいた自宅を改装し、ついにショー ルームを開設するに至りました。
時を同じくして、愛知万博の愛知県館に天皇、皇后両陛下をお迎えするVIPルームが作られ、その玉座の製作に、職人として指名される栄誉に授かりました。約半年間の時間をかけ、設計から製作、納入までの仕事を無事に行うことが出来たことは、もの作りに責任とこだわりを持つための私の貴重な経験となりました。

ものづくりはまず貴重な資源を刻むところから始まります。この資源を刻むという行為には、プロとして重大な責任を負うことだと思っています。毎日貴重な資源に刃物を入れる私の仕事、材料に刃物を入れる前には色々なことを考え整理してから臨んでいます。この行為を生業としている以上、私の手によって刻まれた資源が、形を変えて永く時代に残り愛されて欲しいと願っています。そのために多くの経験から蓄えてきた智恵や技能、さらに五感や感情を総動員して素材に向き合い、貴重な資源を次の人の財産に加工することが職人としての私の使命だと思っています。